むーのブログ

徒然に書いていきます。

ゼミの飲み会に行ってきました。

 今日はほとんどの活動を控えてゼミの卒業前のオンライン飲み会に参加してきました。久々に顔を突き合わせた面々でしたが、予想より多くの仲間が集まってよかったな。話してみるとそんな趣味合ったんだみたいな発見があったり…。

 なかなかどうして普段お酒を飲むことが少ない僕もワインを飲んで楽しく会話しました。これなかった人や機器の関係でチャットのみの友人もいたけど、次は来れなかった人たちも来れるといいなぁ。卒業してみんなと離れ離れになってしまうのは少し…

いやかなり寂しいけど卒業式が待ち遠しいと感じてる。早くみんなと顔を突き合わせてまた談笑したいな。長い時間一緒にいた友達たち。一番長い付き合いのあの人は一年の頃よく話していたグループで出会ってからもう四年。よく話す彼も一年の頃にはあまり話すことはなかったけど、ゼミで話す前からちょくちょく話していたり。

正直、僕は入学当初から恰幅のいい体形と奇抜な髪から注視されやすい見た目だったのでみんなは嫌でも目に入っていたかもしれないけどね。

 多分言葉でもいうけどここでも「みんなと離れてまた定期的にお茶会だみたいなことができなくなるのは寂しい、もう少し大学でみんなといたいと思ってしまうそんな自分がいるよ。定期的には難しくてもいつも全員がはできないけど、たまには遊ぼうね。これが精一杯!」      やっぱり寂しいね。

 

さて、ここから徒然に

 なんかみんなに見られるかもしれないから面白いテーマで…。

じゃぁ「」について

 

 って様々な形態をしていてその人個人の中でさえ、一つじゃないってそう思ってる。それは決まった形がなくて流動的、いくつあるのかわからないから探すのも理解するのも難しい。それは可視化された形が認められることもあるけど不可視な場合がほとんど、それどころか当人でさえ理解できないこともある。恋愛的な愛もあれば思慕友愛もあるだろうし、名前が付けられないものまである。記事の上記した友人への気持ちはある一種の意味で愛と呼べるだろうし、それが一つかもわからない。どう判断すべきかわからないほど知らないうちに大きくなっていった気持ちもあると思う。僕自身はその名無しの愛を思うがままに表現することがある。それでいいんだって思う。わからないから閉じ込めておく。縛り付けて押し殺して…。きっと伝えておけばよかったで終わる頭の片隅でもしもあの時って考えるよりはきっと伝えてしまった方が…

なんかメタ視点の話になっちゃいそうだけど実際、伝えない方がなんか物語的で儚い感じがするって思う自分もいるんだけど。時間は不可逆だし、エントロピーは減少しない。時が戻ってそれを表現することなんて到底できないし、人間がよみがえることは今のところない。

 さぁ本腰のの話に戻ろう。友人に抱く愛、こういを伴うアイ。大切な自分を愛する愛。きれいなものばかりじゃなくきっと大半が多様性を帯びていてドロドロしていて不定形。それを無理やり瓶に詰めて名前を付けてもいいし、僕はぶちまけてもいいって思うんだ。これが僕が愛について思うガタガタの気持ち。

 

なんか適当なこと書いた気がするし、前回は熱が入りすぎてレポートみたいな量だったのでふにゃふにゃな意見はここまでにして…。なんか小説でも書きたいね。って感じでここまで!

 

明日も徒然に筆を執ろうかな?